華々しい競艇界で活躍する女性ボートレーサーの守屋美穂さんの人生に、多くの人が関心を寄せています。2013年には同じボートレーサーの山口達也さんと結婚し、2015年には男児を出産するなど、プライベートでも注目を集めてきました。
岡山県倉敷市出身の守屋さんは、デビューからわずか2ヶ月で初勝利を挙げるなど、その実力は折り紙付き。A1級レーサーとして数々の実績を残しながらも、2020年に離婚を公表し、現在はシングルマザーとしての新たな人生を歩んでいます。
本記事では、守屋美穂さんの結婚から離婚に至るまでの経緯や、現在の子育ての様子、さらには今後の展望について詳しく紹介します。競艇界の実力派女性レーサーの素顔に迫ることで、彼女の新たな魅力を発見できるはずです。
守屋美穂の元旦那って誰?離婚の真相
ボートレーサー山口達也と2013年に結婚
守屋美穂さんの元旦那は、同じくボートレーサーの山口達也さんです。競艇界の実力者同士のカップルとして注目を集めました。
山口達也さんは、守屋美穂さんと同様にボートレーサーとして活躍し、A1級の実力者として知られています。
2人の出会いは競艇場でのことで、同じ競技者として互いを認め合う関係から、徐々に距離を縮めていったと言われています。
2020年にYouTubeで離婚を告白
守屋美穂さんは2020年、自身のYouTubeチャンネルで離婚していたことを公表しました。この告白は多くのファンに衝撃を与え、様々なメディアでも取り上げられることとなりました。
動画の中で守屋さんは、離婚に至るまでの経緯や心境の変化について率直に語っており、視聴者からは「勇気ある告白」として支持する声が多く寄せられました。
特に注目されたのは、離婚後も前向きな姿勢を崩さず、競艇選手としてのキャリアを継続する決意を示したことでした。
離婚理由は「SGを獲れなかったから」と発言
守屋美穂さんは離婚の理由について、「SGを獲れなかったから」という衝撃的な発言をしています。SGとは競艇における最高峰のレースグレードを指します。
この発言の背景には、プロフェッショナルとしての厳しい世界で、互いに高い目標を持って挑戦し続けてきた2人の関係性が垣間見えます。競技者同士だからこそ理解し合える部分がある一方で、プレッシャーや期待も大きかったことが推測されます。
しかし、この発言は必ずしも文字通りの意味ではなく、2人の関係性や価値観の違いなど、より複雑な要因があったことも考えられます。
現在は再婚の予定なし
離婚後、守屋美穂さんは現在に至るまで再婚の予定がないことを明言しています。育児と仕事の両立に全力を注ぐ姿勢を示しており、プライベートよりもキャリアと子育てを優先する考えを持っています。
メディアの取材では、「今は息子の成長と自身の競技生活に集中したい」という思いを語っており、多くのファンからその決断を支持する声が寄せられています。
競艇選手としての活動を続けながら、シングルマザーとして子育ても両立させる守屋さんの姿は、多くの人々に勇気と希望を与えています。
守屋美穂の子育て事情は?
2015年に男児を出産
守屋美穂選手は2015年に第一子となる男児を出産しました。競艇選手として初めての産休を取得し、約1年間のブランクを経て復帰を果たしています。
出産後は、母親としての責任と競艇選手としてのキャリアの両立に向けて、出産前から計画的に産休を取得し、万全の体制で出産に臨んだことが伝えられています。
特筆すべきは、守屋選手が女性ボートレーサーとして、出産・育児と競技の両立というロールモデルを示したことです。この経験は、後続の女性ボートレーサーたちにとって大きな指針となっています。
親権は守屋美穂が持つ
2020年の離婚後、守屋美穂選手が息子さんの親権を持つことになりました。これは、守屋選手が競艇選手として安定した収入を得られていることや、実家のサポート体制が整っていたことなども考慮された結果と考えられます。
親権を持つことになった守屋選手は、息子さんの教育や生活環境の整備に特に注力しています。仕事と育児の両立は決して容易ではありませんが、息子さんの成長を第一に考えた選択をしています。
現在はシングルマザーとして奮闘中
シングルマザーとなった守屋選手は、競艇選手としての活動と育児を両立させるために、綿密なスケジュール管理を行っています。レース出場時は実家のサポートを受けながら、息子さんの生活リズムを崩さないよう配慮しています。
また、守屋選手は育児の様子をSNSで時折公開しており、息子さんとの日常の触れ合いを大切にしている様子が伺えます。競艇選手という特殊な職業でありながら、一般的な母親と同じように子育ての喜びや苦労を経験しています。
両親のサポートを受けながら育児
守屋選手の育児において、実家の両親からの支援は非常に重要な役割を果たしています。特にレース期間中は、息子さんの面倒を見てくれることで、選手として集中して競技に臨むことができています。
このような家族のサポート体制があることで、守屋選手は安心してレースに出場することができ、結果としてキャリアの継続が可能となっています。両親の支援は、シングルマザーとして活躍する守屋選手の大きな支えとなっています。
ヘルメットに息子の似顔絵をプリント
守屋選手は、競技用ヘルメットに息子さんの似顔絵をプリントするという独自の取り組みを行っています。これは、息子さんへの愛情表現であると同時に、レース中も常に息子さんを身近に感じられるような工夫となっています。
このヘルメットは、ファンの間でも話題となり、母親としての一面を表現する象徴的なアイテムとなっています。また、息子さんにとっても、母親の仕事を身近に感じられる大切なつながりとなっています。
守屋美穂は再婚する予定はある?
守屋美穂選手は、YouTube等の媒体で自身の結婚・離婚について率直に語っています。シングルマザーとして、競艇選手としてのキャリアと育児の両立に励んでいます。
ボートレース選手としてのキャリアを第一に考え、息子さんの子育てに専念する姿勢を明確にしています。
再婚は絶対にしないと断言
守屋選手は、自身のYouTubeチャンネルやメディアのインタビューにおいて、現時点での再婚については否定的な考えを示しています。
その理由として、以下の点を挙げています:
- 競艇選手としての仕事に専念したい
- 息子の成長を第一に考えている
- 現在の生活リズムを大切にしたい
育児と他人との共存が難しいと告白
守屋選手は、ボートレース選手という特殊な職業柄、不規則な生活リズムを送っています。レース参加のための遠征や、早朝からの練習など、通常とは異なるスケジュールで生活しています。
このような生活の中で:
- 息子との時間を最優先にしている
- 仕事と育児の両立で精一杯である
- 新しい家族関係を築く余裕がない
という現実的な課題があることを明らかにしています。
竹内涼真や田中圭が好みのタイプ
メディアでの質問に対し、理想の男性像として俳優の竹内涼真さんや田中圭さんの名前を挙げています。これは、一般的な「好みのタイプ」としての発言であり、実際の交際や結婚を意識したものではありません。
守屋選手は、現在の生活について:
- 仕事と育児の両立に充実感を感じている
- 息子の成長を見守ることを最優先している
- キャリアの更なる発展を目指している
という前向きな姿勢を示しています。
守屋美穂のプロフィールと経歴
1989年生まれの岡山県倉敷市出身
守屋美穂さんは、1989年1月17日生まれの岡山県倉敷市出身の女性ボートレーサーです。幼少期から水上スポーツに親しみ、地元の倉敷市は瀬戸内海に面していることから、自然と水辺での活動が多かったと言われています。
倉敷市立南中学校、岡山県立倉敷青陵高等学校を卒業後、ボートレーサーを目指す決意をします。高校時代は水泳部に所属し、水上での身体能力を磨いていたことが、後のボートレース選手としての活躍に繋がっていると考えられます。
地元・岡山県は競艇の盛んな地域であり、児島競艇場があることも守屋さんがボートレーサーを志すきっかけの一つになったと言われています。
2007年にボートレーサーデビュー
守屋美穂さんは18歳でボートレーサー養成所(現:やまと学校)に入所し、約1年間の厳しい訓練を経て、2007年にボートレーサーとしてデビューを果たしました。
養成所では、基本的な操船技術はもちろん、エンジンの整備や気象条件の読み方、レース戦術など、プロとして必要な知識と技術を徹底的に学びました。同期には130期生として約40名が在籍し、その中でも特に目立つ存在として注目を集めていました。
デビュー当初から女性ボートレーサーとして期待を集め、特に水上での安定した操船技術には定評がありました。
デビュー2ヶ月で初勝利を達成
守屋美穂さんは、デビューからわずか2ヶ月という短期間で初勝利を収めました。これは女性ボートレーサーとしては非常に早いペースでの初勝利であり、その実力の高さを証明する出来事となりました。
初勝利を収めた際は、インコースを活かした安定した走りで他の選手を寄せ付けない圧巻のレース運びを見せました。この勝利により、守屋さんの名前は一気に競艇界に知れ渡ることとなります。
デビュー直後からの活躍は、その後の彼女のキャリアの基礎となり、多くのファンを獲得するきっかけとなりました。
A1級の実力派レーサー
現在、守屋美穂さんはA1級という、ボートレーサーの中でも最高峰のクラスに所属しています。A1級は、売上げや勝率などの成績に応じて認定される階級で、守屋さんはその実力を認められ、昇級を果たしました。
A1級レーサーとしての活動では、以下のような特徴が挙げられます:
- 全国の主要な競艇場での出場機会が多い
- 売上げの高いレースに優先的に出場できる
- SGやGⅠなどの大きな大会への出場機会がある
また、守屋さんは女性レーサーとして、後進の育成にも力を入れており、多くの若手選手の目標となっています。技術面だけでなく、精神面でも強さを見せる実力派レーサーとして、競艇界で確固たる地位を築いています。
守屋美穂の競艇選手としての実績
2013年に初優勝を飾る
守屋美穂選手は、2013年に浜名湖競艇場でのレースで初優勝を達成しました。デビューから約6年での初優勝となり、この優勝は守屋選手のキャリアの大きな転換点となりました。
初優勝までの道のりでは、数々の苦労や挫折を乗り越えてきました。特に女性レーサーとして、男性中心の競艇界で実力を認められるまでには、日々の厳しい練習と努力を重ねてきたと言われています。
初優勝後のインタビューでは、「これまでの努力が報われた」と語り、多くのファンや関係者から祝福を受けました。この優勝を機に、守屋選手の知名度は一気に上昇し、女性ボートレーサーの代表的存在として注目されるようになりました。
2014年にSG戦初出場を果たす
2014年、守屋選手は最高峰のSG競走への初出場を果たしました。SG戦は競艇界最高峰のレースであり、出場すること自体が実力の証明となります。
SG戦での初出場は、守屋選手のキャリアにおける重要なマイルストーンとなりました。初出場時は結果を残すことはできませんでしたが、この経験が後の成長につながったと言われています。
SG戦出場までの過程では、A1級への昇格や、各地の一般戦での安定した成績が評価されました。女性レーサーのSG戦出場は当時まだ珍しく、守屋選手の活躍は後進の女性レーサーたちにも大きな励みとなりました。
2015年に産休を取得し翌年復帰
2015年、守屋選手は出産のため産休を取得しました。競艇選手としてのキャリアの最中での出産は、大きな決断を必要とするものでした。
産休期間中も、体力維持のためのトレーニングを継続し、復帰に向けた準備を怠りませんでした。2016年の復帰後は、母としての責任と競艇選手としての活動を両立させ、多くの女性アスリートの模範となっています。
復帰後も実力は衰えることなく、母となった経験が精神面での成長につながったと言われています。
現在も第一線で活躍中
現在も守屋選手は、常に上位入賞を狙える実力を維持し続けています。
特に女性レーサーとしては、安定した成績を残し続けており、レース展開の読みの正確さや、スタート技術の高さは、多くの関係者から高い評価を受けています。
また、シングルマザーとしての生活と競艇選手としてのキャリアを両立させる姿は、多くのファンや後輩レーサーたちに勇気を与えています。守屋選手の活躍は、競艇界における女性の活躍の可能性を広げ続けていると評価されています。