サッカー選手としての輝かしい実績、そして引退後も多岐にわたる活動で注目を集め続けている本田圭佑さん。ACミランでのプレー、日本代表での活躍、そしてビジネスマンとしての姿など、多くの人々に影響を与え続けています。
しかし、彼の歩んできた道のりや、なぜここまでの成功を収めることができたのか、詳しく知る機会は意外と少ないのではないでしょうか。本田さんは、日本人選手として初めてイタリアの名門ACミランでプレーし、ワールドカップでは3大会連続得点を記録。
本記事では、幼少期から現在に至るまでの本田圭佑さんの軌跡と、サッカー選手としての輝かしい実績、そしてビジネスマンとしての挑戦を詳しく解説していきます。夢を追い続けることの大切さと、可能性に限界を設けない生き方のヒントが見えてくるはずです。
本田圭佑のプロフィール
生まれ
本田圭佑は1986年6月13日、大阪府摂津市に生まれました。彼の出身地である摂津市は、サッカーが盛んな地域であり、彼のサッカーキャリアの基盤を築く場所となりました。
本田選手は、二人兄弟の末っ子として育ちました。彼の兄、弘幸氏との競争は、幼少期から本田選手に刺激を与え、成長を促しました。
幼少期
幼少期からサッカーに親しみ、地元のクラブチームでプレーを始めた彼は、早くからその才能を発揮し、将来のプロ選手としての道を歩むことになります。
本田選手がサッカーを始めたのは、小学2年生の時に地元のクラブチーム「摂津FC」に入団したことがきっかけです。このクラブは全国大会に出場するような強豪ではありませんでしたが、彼の学年は仲が良く、自由な雰囲気の中で個々の特性を発揮できる環境でした。
彼は特に「学ぶ力」が強く、怪我をした際にもその経験から何を学べるかを考える姿勢がありました。恩師の田中章博先生は、本田選手を「学び名人」と称し、彼が常に新しいことを吸収しようとする姿勢が彼の成長に寄与したと語っています。
家庭環境も彼の成長に影響を与えました。両親は彼が小学校2年生の時に離婚し、その後父親に引き取られましたが、仕事で忙しかったため祖父母に育てられることになりました。このような背景も、彼の自立心や強い意志を育む要因となったと考えられます。
ジュニアユース
本田圭佑は1999年にガンバ大阪ジュニアユースに入団し、サッカーキャリアの初期をここで過ごしました。(中学校は摂津市立第四中学校)同期には川崎フロンターレなどで活躍している家長昭博選手がいました。
特に、彼の左足から放たれるシュートは威力があり、数々のゴールを生み出しました。これにより、彼は日本国内で高い評価を受け、ユースチームへの昇格も期待されていました。
しかし、ジュニアユースの選手のレベルは高く、ガンバ大阪のユースチームには昇格できませんでした。
星稜高校時代
本田圭佑は2002年から2005年までの星稜高校時代に、サッカー選手としての基盤を築きました。彼はこの期間中、全国高校サッカー選手権に3年連続で出場し、特に3年生の時にはベスト4進出を果たしました。この成功は、彼自身の才能だけでなく、チーム全体の実力によるものでした。
星稜高校は当時、非常に強力なチームであり、本田が入学する2年前には多くの1年生がレギュラーとして活躍し、選手権でベスト16に進出していました。本田は1年生からその存在感を示し、特に練習試合ではその技術とプレースタイルが注目されました。監督の河崎護は、本田を即座にピッチに送り出し、その才能を評価しました。
また、本田はチーム内で上下関係をなくすことを提唱し、速攻サッカーを重視しました。これにより、チーム内の雰囲気が変わり、選手たちがより自由にプレーできる環境が整いました。彼は「ここではパスを繋ぐサッカーをできますか? 俺をレギュラーで使ってくれますか?」といった発言をするなど、自信に満ちた姿勢を見せていました。
このような経験は、本田圭佑が後にプロとして成功するための重要な土台となりました。彼は星稜高校で培った技術や考え方をもとに、その後のキャリアで多くの成果を上げることになります。
本田圭佑のプロサッカー選手としての経歴
グランパスエイト時代
本田圭佑は、名古屋グランパスエイトでのキャリアを通じて、プロサッカー選手としての基盤を築きました。彼は2005年に名古屋グランパスエイトに加入し、背番号24を背負ってプロデビューを果たしました。初出場は同年のナビスコカップで、アシストを記録しました。
本田は主にミッドフィールダーとしてプレーし、その技術と視野の広さでチームの攻撃を牽引しました。特に2006年から2007年にかけて急成長を遂げ、リーグ戦での出場数が90試合に達し、11ゴールを挙げるなど、チームの中心選手としての地位を確立しました。彼のプレースタイルは、特にフリーキックやロングシュートが得意であり、試合の流れを変えるプレーが多く見られました。
また、本田は名古屋グランパスエイト在籍中に日本代表にも選出され、国際舞台でもその才能を発揮しました。2008年には日本代表としてAFCアジアカップに出場し、その後も代表チームで重要な役割を果たすことになります。
本田圭佑の名古屋グランパスエイト時代は、彼のキャリアにおいて非常に重要な基盤を築いた期間であり、その後の海外移籍や日本代表での活躍につながる大きなステップとなりました。彼は名古屋グランパスエイトでの経験を通じて、自身のサッカー人生を大きく前進させることができたと言えるでしょう。
海外移籍後の活躍
本田圭佑は、2008年以降、海外でのキャリアを通じて多くのクラブでプレーし、数々の成果を上げました。
VVVフェンロ (2008-2010)
本田は2008年にオランダのVVVフェンロに移籍しました。ここで彼は背番号29を背負い、2008-09シーズンにはリーグ優勝に貢献しました。特に、2009年にはエールディヴィジでの活躍が評価され、年間最優秀選手賞(MVP)を受賞しました。
CSKAモスクワ (2010-2014)
2010年、本田はロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワに移籍しました。彼はここで背番号7を着用し、UEFAチャンピオンズリーグでの活躍が際立ちました。特に2010年にはCLベスト8進出に貢献し、ロシアリーグでも数回の優勝を果たしました。彼はCSKAモスクワで4年間プレーし、合計94試合に出場し20ゴールを記録しました。
ACミラン (2014-2017)
その後、2013年12月にACミランに移籍し、背番号10を着用しました。ミランでは主に右ウイングとして起用され、数々の重要なゴールやアシストを記録しました。特に2015-16シーズンにはミランのスーペルコッパ・イタリアーナ優勝にも貢献しました。
パチューカ (2017-2018)
2017年にはメキシコのパチューカに移籍し、リーガMXでプレーしました。ここでも彼は重要な役割を果たし、コパMX決勝トーナメントでの活躍が評価されました。
メルボルン・ビクトリー (2018-2019)
オーストラリアのメルボルン・ビクトリーにも在籍し、Aリーグでプレーしました。開幕戦では初得点を挙げ、その後もチームの中心選手として活躍しました。
フィテッセ・アーネム (2019)、ボタフォゴ(2020)
その後、オランダのフィテッセ・アーネムで短期間プレーし、2020年にはブラジルのボタフォゴに移籍しました。
ネフチ・バクー (2021)
2021年にはアゼルバイジャン・プレミアリーグのネフチ・バクーに加入し、ここでも活躍を続けました。2021年にはリトアニアリーグのスードゥヴァにも移籍し、2024年にはブータンのパロFCと契約することが発表されました
パロFC(2024)
本田圭佑は、2024年10月20日にブータンのパロFCで行われたリーグ最終戦において、2ゴールを決め、自身10カ国目となるトップリーグでの得点を記録しました。
この試合はティンプー・シティーFCとの対戦で、試合は2-2の引き分けに終わりました。彼は前半34分にPKを決め、後半アディショナルタイムにはヘディングで同点ゴールを挙げました。
本田圭佑の日本代表での経歴
日本代表歴
本田圭佑さんの日本代表歴は2006年から2023年まで続き、98試合に出場し、37得点を記録しています。彼は日本サッカー界において非常に影響力のある選手であり、特に国際舞台でのパフォーマンスが評価されています。
W杯での連続ゴール記録
本田は、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会の3大会連続で得点を挙げた日本人初の選手です。特に、2010年の大会ではカメルーン戦で先制点を決め、日本のW杯初勝利に貢献しました。
さらに、2018年の大会ではセネガル戦で同点ゴールを決め、日本人最年長得点者となりました。
アシストと得点記録
本田選手は、W杯3大会連続で得点を記録しただけでなく、アシストも行い、アジア人初となるW杯3大会連続アシストを達成しました。これにより、彼は日本代表の攻撃の中心として重要な役割を果たしました。
本田圭佑のビジネス活動
サッカースクールの展開
本田圭佑が2012年にプロデュースを開始したソルティーロファミリアサッカースクールは、国内外に約60校を展開し、サッカーを通じて多くの子どもたちに夢を与えています。このスクールは、単なるサッカーの技術を教える場ではなく、子どもたちが自分の可能性を信じ、挑戦する力を育むことを目的としています。各校では、地域の特性に応じたカリキュラムが用意されており、参加者は多様な環境でサッカーを学ぶことができます。
現在、ソルティーロファミリアサッカースクールには約5000人の子どもたちが参加しており、彼らはサッカーを通じて仲間との絆を深め、自己成長を遂げています。参加者は、初心者から経験者まで多岐にわたり、各自のレベルに応じた指導が行われています。これにより、子どもたちは自分のペースで成長し、サッカーの楽しさを実感しながら、チームワークやリーダーシップの重要性を学ぶことができます。
ソルティーロファミリアサッカースクールの教育理念は、サッカーを通じて夢を持つことの大切さを伝えることです。本田圭佑は、子どもたちが夢を追い求める過程で直面する失敗や成功が、彼らの成長にとって重要な経験であると信じています。この理念に基づき、スクールでは技術指導だけでなく、挑戦することの価値や、失敗から学ぶ姿勢を重視した教育が行われています。これにより、子どもたちはサッカーを通じて人生のさまざまな教訓を学ぶことができるのです。
プロサッカークラブの経営
本田圭佑は2015年にオーストリアのSVホルンの経営に参画し、クラブの成長に寄与しています。彼のマネジメント会社であるHONDA ESTILO株式会社は、クラブの運営を通じて、地域のサッカー文化の発展を目指しています。具体的には、選手育成プログラムの強化や地域との連携を深めることで、クラブの競技力向上を図っています。これにより、SVホルンは地域のサッカーファンにとって重要な存在となりつつあります。
2016年から本田はカンボジアのSOLTILO Angkor FCを運営し、地域の活性化を目指しています。このクラブは、カンボジアリーグ1部に所属し、地元の子どもたちにサッカーを通じて夢を与えることを目的としています。さらに、クラブの運営を通じて地域の雇用を創出し、サッカーの普及とともに国全体のサッカーレベルの向上にも寄与しています。これにより、地域社会におけるサッカーの重要性が再認識されています。
本田圭佑は2017年からウガンダのSOLTILO Bright Stars FCを運営し、難民支援を目的とした活動を行っています。このクラブは、ウガンダリーグ1部に所属し、特に難民の子どもたちに夢を追う機会を提供することを目指しています。地域に根ざしたクラブとして、地元の人々に愛される存在となることを目指し、サッカーを通じて社会的な課題に取り組んでいます。これにより、サッカーが持つ力を活かして、地域社会の発展に寄与しています。
投資家としての活動
本田圭佑は2024年1月に新たな挑戦として「X&KSK Fund」を設立しました。このファンドは国内のスタートアップ企業に特化しており、150億円規模の資金調達を目指しています。彼の目標は、グローバル展開を目指す起業家を支援することであり、これにより日本のスタートアップエコシステムの活性化を図っています。彼の投資活動は、サッカー選手としてのキャリアを超えた新たな挑戦の一環です。
本田は2018年にウィル・スミスと共同で「Dreamers Fund」を設立しました。このファンドは、米国のスタートアップ企業に投資し、特に革新的なビジネスモデルを持つ企業に焦点を当てています。設立以来、9社が時価総額10億ドルを超えるユニコーン企業に成長しており、これにより本田の投資家としての実績が証明されています。彼のビジョンは、次世代の起業家を支援し、社会にポジティブな影響を与えることです。
本田圭佑の投資理念は、単なる経済的リターンを超え、社会的インパクトを重視することにあります。彼は、投資を通じて次世代により良い未来を残すことを目指しており、特にインパクト投資に強い関心を寄せています。彼の活動は、社会問題に対する意識を高め、持続可能なビジネスモデルを支援することに繋がっています。このような理念は、彼のサッカー選手としての経験にも根ざしており、挑戦を続ける姿勢が反映されています。
本田圭佑の社会貢献活動
教育
本田圭佑は2016年、国連財団から「Global Advocate for Youth」に任命され、世界中の若者に対する教育の重要性を訴える役割を担うこととなりました。この任命は、彼のサッカー選手としてのキャリアを超えた社会貢献活動の一環であり、特に教育の普及に力を入れる姿勢を示しています。
彼は、教育を通じて子どもたちの未来を切り開くことができると信じており、その信念は彼の活動の根底にあります。
ウガンダの子どもたちへの支援
本田は、ウガンダでの訪問をきっかけに「AFRICA DREAM SOCCER TOUR」を立ち上げました。このプロジェクトは、貧しい環境にいる子どもたちにサッカーを通じて夢や希望を与えることを目的としています。
彼は、サッカーが持つ力を信じ、子どもたちが自立するためのきっかけを提供することに情熱を注いでいます。ツアーでは、現地の子どもたちにサッカーの指導を行い、彼らの未来に対する可能性を広げる活動が展開されています。
本田圭佑は、教育の重要性を強く認識しており、特に恵まれない国の子どもたちに質の高い教育を提供することを目指しています。
彼は、サッカーを通じた教育プログラムを展開し、子どもたちが自らの夢を追い求めるための支援を行っています。具体的には、サッカー教室だけでなく、プログラミング学習や職業体験など、多様な教育機会を提供することで、子どもたちの将来に対する選択肢を広げる取り組みを進めています。
本田圭佑の現在の活動と目標
本田圭佑は、現在もサッカー選手として活動しており、2024年現在も期間限定ですが現役のサッカー選手として活躍しています。
彼は2021年から2023年までカンボジア代表の監督を務め、チームの成長に貢献しましたが、2023年にその職を退任しました。
現在は、ブータンのパロFCでプレーしており、2024年にはAFCチャレンジリーグに出場するなど多くの国で得点を挙げることを目標にサッカー選手を続けています。現在10か国のプロサッカーリーグで得点を決めており、今後記録をどこまで伸ばせるか期待されています。
さらに次の目標として、「2026年のW杯で監督として優勝する」ことを公言されています。日本代表の監督はライセンスの関係で難しいですが、カンボジアのような実質的な監督としてW杯に出場し、優勝を目指しているようです。
38歳となり、現役のサッカー選手としては晩年ですが、挑戦する気持ちや向上心がなくならない限り、今後も本田選手としてチャレンジをしていくと思われ、サッカーファンにとっては楽しみな話題です。