お笑い芸人の高学歴エピソードに興味を持たれている方も多いのではないでしょうか。テレビで見かける芸人さんの中には、実は超難関校出身という方が意外と多く存在します。
その中でも、特に注目を集めているのが「ママタルト」のお二人です。檜原洋平さんは偏差値74の清風南海高校から神戸大学へ、大鶴肥満さんは明治大学を卒業するという、高い学歴の持ち主です。
本記事では、檜原さんと大鶴さんの学生時代のエピソードから、意外な出会い、そしてコンビ結成までの秘話を詳しく解説していきます。
ママタルトの学歴がスゴい
お笑いコンビ「ママタルト」のメンバーは、共に高学歴芸人として知られています。芸人としての活動を展開しながら、学業も真摯に取り組んできた2人の経歴は、多くの人々に注目されています。
2人とも難関校出身であり、お笑い芸人でありながら、その知的な一面も魅力の一つとなっています。この高い学歴は、彼らのネタ作りや表現力にも活かされていると言われています。
2人とも超難関校出身
ママタルトの2人は、共に優秀な学歴を持っています。檜原洋平さんは大阪屈指の進学校である清風南海高校出身で、大鶴肥満さんは都内の私立錦城高等学校出身です。
2人とも高校時代から芸人を目指しながらも、学業との両立を図っていたことが知られています。この経験は、後の芸人活動においても、計画的な活動や知的な表現力として活かされています。
檜原洋平は神戸大学を卒業
檜原洋平さんは、大阪府の清風南海高校を卒業後、1年間の浪人を経て神戸大学発達科学部に進学しました。清風南海高校は偏差値74を誇る超難関校として知られており、多くの優秀な人材を輩出しています。
神戸大学発達科学部では、人間の発達や教育について専門的に学び、この経験は後の芸人としての表現力や観察力の向上にも良い影響を与えたと考えられています。
大鶴肥満は明治大学を卒業
大鶴肥満さんは、東京都小平市にある私立錦城高等学校を卒業後、明治大学に進学しました。錦城高等学校は、文武両道の教育で知られる学校です。
明治大学では、学業とお笑いの両立を図りながら、お笑いサークルでの活動も積極的に行っていました。この時期の経験が、後の芸人としての成長に大きく影響を与えたとされています。
両者の高い学歴は、単なる経歴以上の意味を持っており、知的な笑いを追求する上での重要な基盤となっています。また、学生時代の真摯な学びの姿勢は、芸人としての活動にも活かされているといえます。
ママタルトの檜原洋平はどんな学生だった?
清風南海高校で勉強とお笑いの両立
檜原洋平さんは、偏差値74の超難関校である清風南海高校に在学中、勉強とお笑いを両立させた異色の経歴の持ち主です。
清風南海高校は大阪府の私立高校で、東大や京大などの難関大学への合格実績も多く、特に理系に強い学校として知られています。
そのような厳しい学業環境の中で、学業を疎かにすることなく、お笑いの活動にも精力的に取り組んでいました。この経験は、後の芸人としての活動にも大きな影響を与えたと考えられます。
勉強とお笑いの両立は決して容易ではありませんでしたが、時間管理を徹底し、限られた時間の中で効率的に活動を行っていたと言われています。
高校時代から芸人として活動
檜原さんの芸人としての活動は高校時代から始まっており、その頃から頭角を現していました。
「グランドメニュー」というコンビを結成し、M-1甲子園の南大阪大会で優勝という快挙を成し遂げています。この実績は、檜原さんの才能の高さを示す重要な指標となりました。
高校生でありながら、既にプロの芸人顔負けのネタ作りと演技力を持っていたと言われています。授業の合間や放課後を利用して熱心に練習を重ね、様々なお笑いの大会に出場していました。
霜降り明星・粗品と共演経験あり
檜原さんは高校時代、現在人気芸人として活躍している霜降り明星の粗品さんと共演した経験があります。
同じ関西の高校生芸人として活動していた二人は、お笑いの大会やイベントで顔を合わせることがありました。当時から粗品さんの才能を高く評価していたと言われています。
この時期の交流や競い合いが、両者のお笑いの技術向上に良い影響を与えたと考えられています。高校生ながら、既に将来の芸人としての素養を感じさせる存在だったと言えるでしょう。
ママタルトの大鶴肥満の学生時代エピソード
錦城高校の軽音部に所属
大鶴肥満さんは、東京都小平市にある私立錦城高等学校に在学していました。高校時代、大鶴さんは軽音部に所属し、音楽活動に励んでいました。
軽音部では、ベースを担当していたことが知られています。この経験は、後のお笑い芸人としての活動にも活かされており、ライブでの表現力や音楽的なセンスの基礎となっています。
現在でも音楽への造詣が深く、お笑いライブなどでも音楽的な要素を取り入れたネタを披露することがあります。
体型でいじめを受けるも前向きに
大鶴さんは学生時代、体型に関する周囲からの心無い言葉に悩まされることがありました。しかし、そうした経験を前向きに捉え、自身のキャラクターとして確立していきました。
特に高校時代は、周囲からの言葉に悩みながらも、自分らしさを模索する時期でした。この経験は、後のお笑い芸人としての活動において、自身の個性を活かしたネタ作りの源泉となっています。
現在では、体型に関する話題を自虐ネタとして昇華し、笑いに変えることで多くの観客を楽しませています。
大学ではお笑いサークルで活動
明治大学在学中、大鶴さんはお笑いサークル「木曜会Z」に所属していました。サークル内でコンビ「カステラ」を結成し、本格的にお笑い活動をスタートさせました。
「木曜会Z」では、定期的にライブを行い、ネタ作りやステージング、観客とのコミュニケーションなど、お笑い芸人として必要なスキルを磨いていきました。
この時期の経験は、プロの芸人としての基礎を築く重要な時期となりました。
そっくりさんコンテストがきっかけ
大学3年生の時、周囲から「大鶴義丹さんに似ている」と言われたことをきっかけに、フジテレビの人気番組「笑っていいとも!」のそっくりさんコンテストに出演しました。
このテレビ出演経験が、芸能界への第一歩となり、お笑い芸人を目指すきっかけの一つとなりました。大鶴さんは、自身の特徴を活かした芸風を確立していく中で、この経験を重要な転機として位置づけています。
その後、プロの芸人を目指して活動を続け、現在のママタルトのメンバーとして活躍するに至っています。
ママタルトの結成秘話
ZAZYの意外なアドバイス
お笑いコンビ・ママタルトの結成には、意外な人物からのアドバイスが大きく影響しています。檜原洋平さんは以前組んでいたコンビが解散した後、次のパートナー探しに悩んでいました。
そんな時、大阪時代からの友人であるZAZYさんから重要なアドバイスを受けることになります。ZAZYさんは「次はすごく太っているか、すごく歌がうまい人のような、特徴のある人と組んだほうがいい」と助言しました。
このアドバイスの背景には、コロコロチキチキペッパーズの成功例があったとされています。個性的な2人の組み合わせが注目を集めやすいという芸人としての経験則に基づいた提案でした。
ギリマシーンでの運命の出会い
ZAZYさんからアドバイスを受けた翌日、運命的な出会いが待っていました。檜原さんは「ギリマシーン」という大喜利ライブに参加します。このライブは若手芸人たちが集まり、即興で笑いを競い合う場として知られていました。
そこで檜原さんは、大柄な体型が特徴的な大鶴肥満さんと出会います。まさにZAZYさんが言及した「特徴のある人」との出会いでした。檜原さんは大鶴さんのキャラクターと芸風に可能性を感じ、その場で直感的にコンビを組みたいと考えたと言われています。
大喜利ライブという創造的な場での出会いは、後の2人の独特な芸風にも影響を与えたと考えられています。
熱心な説得で実現したコンビ結成
コンビ結成への道のりは、決して平坦ではありませんでした。「僕と組めばあなたはキングになることができる」と熱心に説得を続けました。
当時、大鶴さんは既に別のコンビを組んでおり、新たなパートナーシップを結ぶことには慎重でした。
しかし、檜原さんの情熱的な説得と、2人の芸風が合致する可能性への確信が、この熱意ある approach が、現在の人気コンビ・ママタルトの誕生につながったのです。
ママタルトのコンビ名の由来は?
お笑いコンビのコンビ名は、その芸人の個性や方向性を表現する重要な要素です。ママタルトという独特な響きのコンビ名には、2人の想いが込められています。
「オシャレ喫茶店」からインスパイア
ママタルトというコンビ名は、インターネットで「オシャレ 喫茶店」というキーワードで検索した際に見つけた店名からインスピレーションを得ています。「ママタルト」という名前には、昔ながらの喫茶店の雰囲気と、スイーツのような甘さが感じられる響きがあります。
この名前には、以下のような特徴があります:
- 覚えやすい2音+2音のリズム感
- 優しさを感じさせる「ママ」という言葉
- スイーツを連想させる「タルト」という単語
練馬の定食屋も候補に
コンビ名の候補には、2人の思い出の場所にちなんだ名前も挙がっていました。
- 「みよし」:大鶴肥満さんが練馬で常連として通っていた定食屋の名前
- 「ライオン堂」:檜原洋平さんの学生時代、神戸市内でよく利用していた立ち飲み屋の名前
これらの候補には、2人それぞれの日常生活や思い出が反映されています。
最後はくじ引きで決めた
最終的なコンビ名の決定は、くじ引きという公平な方法で行われました。3つの候補の中から「ママタルト」が選ばれたのは、偶然の産物でした。
くじ引きで決めたことについて、以下のような利点があったと考えられます:
- 2人の意見が分かれた際の円満な決着
- 運命に任せることで納得感が得られる
- 後悔のない決定方法
この決定方法は、2人の関係性を良好に保つ上でも重要な役割を果たしたと思われます。
ママタルトの事務所探しに苦労した?
太田プロに所属できず、マセキ芸能社のオーディションも落選
ママタルトの事務所探しの道のりは、決して平坦ではありませんでした。芸人としてのキャリアをスタートさせるために、まず大手芸能事務所である太田プロダクションの門を叩きましたが、残念ながら所属することはできませんでした。
その後、実力派芸人を多く抱えるマセキ芸能社のオーディションに挑戦しましたが、こちらも落選という結果に終わります。この時期、コンビとしての実力は確かなものがありましたが、事務所からの評価を得ることは容易ではありませんでした。
しかし、この経験は後のコンビの成長に大きな影響を与えたと考えられます。複数の事務所での挫折を経験したことで、より一層の努力と研鑽を積む機会となったと思われます。
サンミュージックでスタート
紆余曲折を経て、ママタルトは最終的にサンミュージックに所属することとなりました。サンミュージックは、お笑い芸人の育成に定評のある芸能事務所として知られています。
サンミュージックには、以下のような特徴があります:
- 若手芸人の育成に力を入れている事務所として知られている
- テレビ番組や舞台など、幅広い活動の場を提供している
- マネジメント体制が整っており、芸人のキャリア形成をサポートする体制が整っている
サンミュージックでの活動開始後、ママタルトは徐々に頭角を現していきます。事務所のバックアップを受けながら、独自のスタイルを確立し、メディアへの露出も増えていきました。
結果として、サンミュージックでの活動は、コンビの成長に大きく寄与したと考えられます。時には挫折を経験しながらも、最終的に自分たちの可能性を最大限に引き出せる環境を見つけることができた点は、若手芸人の道のりとして示唆に富むものといえるでしょう。
ママタルトはなぜ売れた?
頭の良さを活かしたネタ作り
ママタルトの成功要因の一つに、高学歴を活かした知的なネタ作りが挙げられます。
檜原洋平さんは神戸大学、大鶴肥満さんは明治大学出身という学歴を活かし、以下のような特徴的なネタ作りを展開しています。
・知的な言葉遊びやダジャレを織り交ぜたコント
・社会問題や時事ネタを取り入れた高度な笑い
・両者の学生時代の経験を題材にした独自のネタ
特に、檜原さんの清風南海高校での受験勉強と芸人活動の両立経験や、大鶴さんの大学時代のお笑いサークル経験が、ネタ作りの土台となっていると考えられます。
また、2人は学生時代から培った知識や教養を、一般視聴者にも分かりやすく昇華する能力も持ち合わせています。
2人の個性的なキャラクター
ママタルトのもう一つの成功要因は、2人の対照的な個性を活かしたキャラクター設定にあります。
檜原さんの特徴:
・高校時代からのお笑い経験を活かした確かな芸歴
・知的な印象と巧みな話術
・M-1甲子園での実績
大鶴さんの特徴:
・独特な体型を活かしたキャラクター作り
・音楽の素養(高校時代の軽音部経験)
・大鶴義丹さん似の容姿を活かした芸風
2人は、それぞれの学生時代の経験や特徴を最大限に活用し、以下のような相乗効果を生み出しています。
・知的なボケと体を張ったツッコミの対比
・高学歴と親しみやすさのバランス
・音楽要素を取り入れた独創的なネタ
このように、2人は単なる「頭の良い芸人」に留まらず、それぞれの個性を掛け合わせることで、独自の芸風を確立することに成功したと考えられます。