80年代を代表する女子プロレスタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」の長与千種さんとライオネス飛鳥さん。リング上での華麗な技と迫力のある試合で、多くのファンを魅了し社会現象までなった伝説のコンビでした。
しかし、その輝かしい活躍の裏では、不仲説が囁かれ続けていたのです。
本記事では、クラッシュ・ギャルズの結成から解散まで、そして近年の和解に至るまでの真実を、当時の状況や証言を交えながら明らかにしていきます。 この記事を読むことで、華々しい成功の陰で起きていた確執の真相と、時を経て育まれた絆について理解することができます。
長与千種とライオネス飛鳥は不仲って本当?
長与千種さんとライオネス飛鳥さんの不仲説は、1980年代から長年にわたり、女子プロレスファンの間で語り継がれてきた話題です。二人は伝説的なタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」として絶大な人気を誇りましたが、その裏では確かな確執があったとされています。
特に1985年の飛鳥さんの突然の活動休止は、二人の関係性に大きな影を落としました。その後、長与さんは単独で活動を続け、飛鳥さんは一時期姿を消すことになります。
しかし、2023年になって二人の関係に転機が訪れ、40周年という記念すべき年に和解を果たしたことが明らかになりました。
人気の差による飛鳥の嫉妬が原因
不仲の主な原因として指摘されているのが、二人の人気の差です。長与さんは「カットマン」という独特のキャラクターと、テレビ番組での爽やかな人柄で、幅広い層から支持を得ていました。
一方、飛鳥さんは技術面では高い評価を得ていたものの、メディアでの露出は長与さんと比べて限定的でした。この人気の差は、タッグパートナーとしての関係にも影響を及ぼしたと言われています。
特に音楽活動においては、長与さんがソロでも活動機会を得る一方、飛鳥さんはそうした機会が少なかったことが、心理的な溝を深める要因となった可能性があります。
飛鳥の突然の芸能活動休止
1985年、絶頂期にあったクラッシュ・ギャルズの活動中、飛鳥さんは突如として活動休止を表明します。当時、精神的な疲労が重なっていたとされ、プロレスラーとしての激しい生活に加え、芸能活動でのプレッシャーも大きな要因だったと言われています。
メディアの注目が長与さんに集中する中、飛鳥さんは自身の立ち位置に悩み、心身ともに限界を感じていたと報道されました。この突然の活動休止は、ファンに大きな衝撃を与えただけでなく、二人の関係にも決定的な亀裂を生じさせることになります。
2023年に40周年で和解
長年続いた二人の確執は、2023年にクラッシュ・ギャルズ結成40周年を迎えたことを機に、ついに解消されることになります。両者は公の場で再会し、過去の対立を乗り越えて和解したことを明らかにしました。
この和解は、多くのファンにとって待望の出来事となりました。40年という時の流れが、かつての確執を癒やし、二人は今では往年の名コンビとして、互いを認め合う関係を築いています。
二人の和解は、女子プロレス界の歴史に新たな1ページを加えると同時に、時間が人の心を癒やし、関係を修復できることを示す象徴的な出来事となりました。
長与と飛鳥のクラッシュギャルズとは
クラッシュギャルズは、1980年代の女子プロレス界に革命を起こしたタッグチームとして知られています。長与千種さんとライオネス飛鳥さんによって結成され、それまでの女子プロレスのイメージを一新する斬新なスタイルで注目を集めました。
二人は全日本女子プロレスに所属し、独自の激しい攻撃スタイルと華麗な技の数々で、従来の女子プロレスの常識を覆していきました。特に長与さんの得意技であるチョップと、飛鳥さんの空中技を組み合わせた攻撃パターンは、多くのファンを魅了する要因となりました。
1983年に結成
クラッシュギャルズの結成は、両者にとって大きな転換点となりました。「最後に自分の望むプロレスを実現したい」という思いから、同じような悩みを抱えていた飛鳥さんに声をかけました。
二人は互いの想いに共感し、1984年8月にタッグチームを結成。従来の女子プロレスの枠にとらわれない、アグレッシブなスタイルを確立していきました。
社会現象となった人気
クラッシュギャルズの人気は、プロレス界を超えて社会現象となりました。1985年には「クラッシュ旋風」と呼ばれる大ブームを巻き起こし、様々なメディアに登場するようになります。
テレビのバラエティ番組への出演や、雑誌の表紙を飾るなど、その活躍の場は格闘技の枠を超えて広がっていきました。特に、若い女性たちの間で絶大な支持を得て、「強く、かっこいい女性」の象徴として注目されました。
音楽活動での大成功
リング以外での活動として特筆すべきは、音楽活動での成功です。1985年にリリースされた『炎の聖書』は、プロレスラーのアイドル的な活動としては異例の大ヒットとなりました。
楽曲は、二人の激しい試合スタイルを表現したロック調の楽曲で、プロレスファン以外からも支持を集めました。音楽番組への出演も多く、アスリートとアーティストの両面で活躍する先駆的な存在となりました。
1989年解散
1985年、ライオネス飛鳥さんが突然の活動休止を表明し、クラッシュギャルズは一時的な活動停止を余儀なくされました。
翌1990年には飛鳥さんも引退を表明。6年という比較的短い活動期間でしたが、クラッシュギャルズは女子プロレス史に大きな足跡を残し、後続の選手たちに多大な影響を与えました。
二人の活躍は、女子プロレスの可能性を広げ、女性アスリートの新しいロールモデルを作り出したという点で、日本のスポーツ史上でも重要な意味を持っています。