1980年代の女子プロレス界を席巻し、社会現象を巻き起こしたクラッシュ・ギャルズのカリスマ、ライオネス飛鳥さん。その圧倒的な存在感と実力は、多くのファンの記憶に今でも鮮明に残っています。 引退後の彼女の姿を気になっている方も多いのではないでしょうか。
2005年の完全引退から約18年が経過し、その間の活動や現在の様子については、あまり広く知られていません。 元全日本女子プロレスの至宝として、数々の名勝負を残してきたライオネス飛鳥さんは、現在銀座でスナック「gangs」のオーナーとして第二の人生を歩んでいます。
本記事では、2023年に還暦を迎えた彼女の現在の活動や、両膝の人工関節手術を乗り越えた壮絶な経験、さらにはNetflixドラマ『極悪女王』で再び注目を集めている近況までを詳しく解説します。
ライオネス飛鳥の現在の活動は?
銀座のスナック「gangs」オーナーとして活躍中
ライオネス飛鳥さんは、2005年のプロレス引退後、銀座でスナック「gangs」のオーナーとして第二の人生を歩んでいます。18年に渡る経営の中で、彼女の経営哲学である「来店客ゼロを出さない」を実現し続けています。
プロレス時代の人脈を活かし、業界関係者や芸能人なども多く来店する人気店として知られています。店内では、プロレス時代の貴重な写真やメモリアルグッズも展示され、ファンにとって特別な空間となっています。
接客においても、プロレスラー時代に培った「お客様を楽しませる」というエンターテイメント精神を大切にしており、来店客との会話を通じて思い出話に花を咲かせることも。これが常連客の獲得にもつながっているとされています。
還暦を迎えても新たな挑戦を継続中
2023年に還暦を迎えたライオネス飛鳥さんですが、その活動は衰えを知りません。「まだ60歳」という前向きな姿勢で、様々な新しい挑戦を続けています。
健康管理に関しては、以下のような徹底した取り組みを行っています:
- 毎日の体重・体脂肪・体温の計測による健康状態の把握
- 週1回のパーソナルトレーニングでの体力維持
- 規則正しい生活リズムの確保
2023年10月には、クラッシュ・ギャルズ結成40周年イベントの開催が予定されており、かつての盟友である長与千種さんとの再会を心待ちにしながら、準備を進めています。
このように、プロレス引退後も精力的に活動を続けるライオネス飛鳥さんの姿は、セカンドキャリアの成功例として、多くの人々に勇気と希望を与えています。
ライオネス飛鳥の膝は限界だった?
長年のプロレスキャリアを通じて、ライオネス飛鳥さんの膝には大きな負担がかかっていました。プロレスラー時代の激しい試合スタイルと、数々の技の衝撃が、彼女の膝に蓄積されていったのです。
特に得意技であった「逆さ押さえ込み」や「飛鳥折り」は、膝に大きな負荷をかける技でした。これらの技を何度も繰り出すことで、徐々に膝の状態は悪化していきました。
2017年両膝の人工関節手術
ライオネス飛鳥さんは2017年、両膝の人工関節置換手術を受けることを決断しました。この手術は、損傷した膝関節を人工の関節に置き換える大がかりな手術です。
手術を決意した背景には、日常生活にも支障をきたすほどの痛みがあったとされています。階段の昇り降りや長時間の立ち仕事など、スナックの経営にも影響が出始めていました。
手術後のリハビリは決して楽なものではありませんでしたが、ライオネス飛鳥さんは持ち前の精神力で乗り越えました。現在では、手術前よりも快適に動けるようになったと語っています。
週1回のパーソナルトレーニング実施
手術後、ライオネス飛鳥さんは週1回のパーソナルトレーニングを欠かさず続けています。このトレーニングでは、以下のような点に特に注意を払っています:
- 膝周りの筋力強化
- バランス感覚の維持
- 全身の柔軟性向上
- 正しい姿勢の保持
60歳を迎えた現在も、体力維持のために継続的なトレーニングを行っています。これは単なるリハビリではなく、より良い生活を送るための投資として位置付けられています。
また、日々の体重管理や体調管理にも気を配り、データを記録することで自身の健康状態を把握しています。この継続的な健康管理により、スナック経営という立ち仕事の多い職業を続けることができています。
このように、手術を経験しながらも、その後の適切なケアと継続的なトレーニングによって、ライオネス飛鳥さんは新たな人生のステージで活躍を続けているのです。
ライオネス飛鳥はNetflixドラマで再注目!!
80年代女子プロレスの立役者として登場
2023年2月にNetflixで配信が開始されたドラマ『極悪女王』は、1980年代の全日本女子プロレスを舞台にした作品として大きな反響を呼んでいます。このドラマの中で、ライオネス飛鳥さんは女子プロレス界の重要人物として描かれ、その存在感が改めて注目を集めています。
作中では、クラッシュ・ギャルズのメンバーとして長与千種さんとともに、女子プロレス黄金期を築き上げた功績が丁寧に描かれています。特に、二人が結成したクラッシュ・ギャルズは、単なるプロレスユニットを超えて社会現象となり、「放課後の体育館」や「ジャパニーズウーマン」などのヒット曲を生み出すまでに至りました。
ドラマでは、ライオネス飛鳥さんの華麗な技の数々や、リング上での凛とした佇まいが忠実に再現されています。当時のファンからは「あの頃の興奮が蘇った」という声も多く寄せられ、新たな世代にも80年代女子プロレスの魅力が伝えられています。
ダンプ松本とのライバル関係が焦点
『極悪女王』では、ライオネス飛鳥さんとダンプ松本さんとの壮絶なライバル関係が重要なストーリーラインとして描かれています。二人の対戦は、技術と力の真っ向勝負として、多くのファンの記憶に深く刻まれています。
作中では、1985年8月に後楽園ホールで行われた伝説の一戦が再現されており、ライオネス飛鳥さんの持つ技術の美しさと、ダンプ松本さんのパワフルな攻撃の対比が見事に表現されています。この試合は、女子プロレス史に残る名勝負として語り継がれており、ドラマでもその熱量が余すことなく描かれています。
また、リング上では激しく闘争を繰り広げながらも、互いを高め合うライバルとしての尊敬の念を持っていた二人の関係性も、ドラマの重要なテーマとして取り上げられています。この描写により、プロレスという競技の奥深さや、アスリートとしての誇りが視聴者に強く印象付けられる内容となっています。
ライオネス飛鳥のプロレスラーとしての経歴
ライオネス飛鳥さんは、1980年代の女子プロレス黄金期を代表するレスラーの一人です。彼女の輝かしい経歴は、日本の女子プロレス界に大きな足跡を残しました。
特に、長与千種さんとのタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」での活動は、女子プロレスを一大ブームへと押し上げる原動力となりました。彼女のキャリアは、リング上での活躍だけでなく、音楽活動などエンターテインメント全般にわたる多彩な才能を見せました。
プロレスラーとしての経歴を通じて、強さと美しさを兼ね備えたカリスマ性で、多くのファンを魅了し続けました。
1980年全日本女子プロレス入門
ライオネス飛鳥さんのプロレスキャリアは、1980年の全日本女子プロレス入門から始まりました。入門のきっかけは、プロレス関連の仕事をしていた姉の影響と言われています。
デビュー当初から、その類まれな身体能力と美貌で注目を集めました。特に、ジャンピングニードロップやムーンサルトプレスといった華麗な空中技を得意とし、「美しすぎる女子プロレスラー」として人気を博しました。
全日本女子プロレスでは、松本理江子さん(後のダンプ松本さん)との抗争が話題となり、ライバル関係として語り継がれています。新人時代から頭角を現し、将来の主力選手として期待される存在でした。
長与千種とクラッシュ・ギャルズ結成
1983年、ライオネス飛鳥さんは長与千種さんとタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」を結成します。二人の組み合わせは爆発的な人気を呼び、女子プロレス界に新たな時代を切り開きました。
クラッシュ・ギャルズは、リング上での活躍にとどまらず、音楽活動でも大きな成功を収めます。代表曲「ジャパニーズ・デストロイヤー」は、オリコンチャートで上位にランクインし、社会現象となりました。
二人は試合スタイルや容姿の対照的な特徴を活かし、完璧なコンビネーションを見せました。海外遠征も積極的に行い、日本の女子プロレスを世界に知らしめる功績も残しています。
2005年に完全引退を決意
ライオネス飛鳥さんは1990年に一度引退を表明しますが、1994年に現役復帰を果たします。復帰後も第一線で活躍を続け、後進の育成にも力を注ぎました。
2005年、プロレス人生に終止符を打つ決断をします。最後の試合では、長年のパートナーである長与千種さんとタッグを組み、有終の美を飾りました。
25年に及ぶプロレスキャリアを通じて、数々のタイトルを獲得し、日本女子プロレス界の重要な功労者として、その名を歴史に刻んでいます。引退後も、プロレス界のレジェンドとして、多くのファンから尊敬され続けています。